前から気になっていた、宮崎駿の現在制作中映画のタイトルにもなった『君たちはどう生きるか』を読み終えました。マンガとかもあるけど一番ノーマルなものです。
この本はどんな年代の人でも読んでもらいたいと思いますし、その時はまずは真っ新で読んだ方が先入観がなくて良いと思いますので、下記ネタバレしている部分がありますのでご注意ください。
目次
率直に感動しました
読み終えて率直に感動しました。82年も前(初出は1937年)にこれだけの内容を生み出している事が信じられません。もちろん改訂や修正はあるかと思いますが、そのおかげで今読んでも古臭くはありません。
そして、この本にもっと早く出会いたかったとの思いが強いです。自分の人生にとっては何事を知ることも、新しく始めることも”遅すぎる”という事はないと思います。でも、この本をもし5年、10年、20年早く知って、読んでいたら私の人生にどんな影響があったか思い描かずにはいれません。そのくらい素晴らしい本でした。
例え自分の望む結果が得られなかったとしても、この本の内容を頭の片隅に置いておいて行動するという事は自分の人生にとってとても意味がある事ではないかなと思います。
また、私は大した大人ではないですが、それでも大人です。だから書いてある事…、主人公コペル君の叔父さん(=筆者)が教えたかった事のいくつかは、私の今までの経験の中で何となく、靄の中ではあったけど感じていた事が明記されていて、その点も共感ができました。少しだけ具体的に書いてみたいと思います。
地動説と天動説
この本の『おじさんのNote』で最初に出てくる話です。詳しくは読んでください。ただ、現在の私が思い当たった事は、『【天動説】会社に勤めて、会社のために全てを尽くして、会社がよくなるために努力する』というのが1年半前までの私の考え方で全く疑問にも思いませんでした。
でも、1年半前に『【地動説】会社のために働くという事には自分の人生においてはあまり意味がないのでは?』という疑問が出て来て、一旦気づいてしまうともうダメでした。気付かない方が良かったかもしれません。
サラリーマンとして働く事は給料をもらうためです。もちろん生きていくために。それ以上でもそれ以下でもありません。それが訳が分からない忠誠心を自ら持ってしまい疑問にも思わずに盲目になっていました。当たり前ですが一番大切な事は自分の人生です。会社なんて辞める状況になってしまえば自分には何にも残りません。
だから大切なのは自分の人生を積み上げていくことではないかという思いに辿り着きました。サラリーマンを否定しているわけではありません。上記の事を肝に据えて働くのと気づかずに働きつづけることの違いです。気づいたら人生について(以前よりは)シンプルに考えられるようになりました。それでブログを始めたわけです。
サラリーマンって自由はないし嫌な事も多いけど、自分で仕事を生み出す必要性が薄く楽な事も多いです。また例えば”将来自動車を作りたい”という夢を持った子供がいたとして、自分で自動車会社を作る事は不可能ではないけどかなり難しいです。でも自動車メーカーに就職して自動車を作る仕事をすることは自動車会社を作るよりもかなり現実的です。だからサラリーマンが悪いとも思っていません。
生み出す大切さ
”生産する人と消費する人”という話が出てきます。働くという事は生産するという事です。生産とは”生み出す”という事でもあると思います。
会社の仕事でも、批判や失敗を恐れず行動するという事は生み出していることだと私は考えています。もちろん失敗することがほとんどかもしれません。でも批判は簡単なので批判する人が沢山いることに驚きます。もちろん正しい批判もあります、でも行動する人がいるから仕事が生まれるという事を理解していない人が多いと感じていました。
まぁ自分自身で言えば、『曲を作って、詞を書いて、動画サイトにアップする』、『イラストを描いて掲載する』というのが今の”生み出す”という事だと思って続けていこうと思います。例え未熟でも生み出す事から逃げてはいけないと思っています。
どんな経験も無駄にはならない『お母さんの石段の思い出』から連想された私の思い出
私は今でも自分の人生で一番楽しく一番良い経験だったと思う『四国八十八ヶ所お遍路の旅』を2004年に行っています。この旅は一度中断していますが、39日間で約1100キロ強を歩きました。
実際はドラマや映画のようなドラマチックな出会いや、出来事はありませんでしたが、それでも今でも心に残っている事があります。
その一つが、スタートして4日目に”12番の焼山寺”というお寺を目指して山越えをした時のことです。焼山寺は”遍路ころがし”と呼ばれている遍路の旅路の中でもつらいポイントです。
しかも大体の人は3~4日目とまだ歩く足が出来ておらず、場合によっては豆が出来て厳しい時に山を登ることとなります。焼山寺自体は938mですので、普通の場合だったらちょっと大変な軽登山という感じです。
ですが、遍路をしている人は着替えなどの荷物を沢山リュックに背負っています。私の場合はこの時はテントまで持っていたので約12キロのリュックを背負いながらの登山でした。
これが無茶苦茶しんどかったのですが、何とか登り切ってお参りをしました。そして疲労困憊だったため野宿はやめて宿を予約したのですが、予約した宿はある程度山を下った場所にありました。
そして宿を目指して下りはじめたのですが、肩も痛くて、疲れすぎてすぐに足が止まってしまいなかなか思うように進みません。登りの方がきついと思うかもしれませんが、疲れてくると下りもしんどいのです。後ろ向きに歩いたりしていました。
それでも、もうどうにも動けなくなってしまい、その時は根性もなかったため、とうとうバスに乗ってしまったのです。あまりしっかり覚えていませんが宿まで10キロもなかったと思います。
でも、これが無職から再生しようと思って始めた”歩いて1周する遍路旅”なので罪悪感を強く感じてしまうことになりました。でも、この時の”歩けたのに怠けてしまった”という後悔の気持ちを強く心に刻めたことにより、その後はこの時の気持ちを思い出して何とか最後まで歩くことが出来たと思います。
そして14年くらい経過した今でもこの経験は生きていると思います。まぁ実際は、もう1箇所つらくて少し怠けたエピソードなどもあるのですが、お遍路の違うエピソードはまた機会があれば書きたいと思います。お遍路に興味がある方は下記に前にまとめた記事がありますのでどうぞ。
上記の私の経験について、本文にも同じことが書いてありすごく納得が出来ました。失敗した経験、つらい経験、どんな経験でも、生かせば無駄ではないのです。
まとめ
まだ、他にも書きたいことや、本文から引用して紹介したいことなどもありますが、読んでない方にはぜひ読んでもらいたいので一旦終りにしたいと思います。
子供が読んでも、青年が読んでも、中年になって読んでも、年代ごとにとても参考になる事が書いてあると思いますのでオススメです。漫画版は読んでいませんが、ノーマル版でもとても読みやすかったです。評価はどれも良いので好きなのを読んで結構だとおもいます。漫画はKindle版もありますね。
ちなみに内容が100%正しいかどうかは分かりません。反対意見もあるでしょう。でも人間が考えている事なので全て正しいかは分からないし時代によって正解も変わってきます。だからあくまで今の私の感想なので間違っているかもしれませんし、今後私の考えも変わっていくかもしれません。
読んでいただいてありがとうございました。
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