母:今日の夕ご飯何が食べたい?
私:なんでも良いよ
〜夕食〜
私:えー今日のおかずは〇〇なの〜
母:あなた何でも良いって言ったじゃない
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一人暮らしは決断出来るのが楽しい!
こんな親子の会話は全国で展開されていると思います。私も半月前まで実家にいた時はそうでした。40歳にもなってあほですね!どんだけ親のすねを齧ってるんだっていう。
また食べたいものがないって、すごく親に対して失礼ですよね。でも実家にいた時は本当に食べたいものがなかったのです。なんでも良かったのです。
でも、一人暮らししたら一人なんだから当然こんな会話は成立しません。自分が何を食べたいか(何かは食べなきゃいけない)のか、自分と会話して、決断して、必要であれば買い物に行き材料を買い、自分で調理しなければ当然ですが食事は出来ません。
まだ一人暮らし始めたばかりなので、今はこの感覚が気持ち良いです。カップラーメンで済ますのか?コンビニで弁当を買うのか?下手でも料理をするのか?誰にも縛られません。
本来めんどくさい事がなんで楽しいのだろう?
当たり前だけどサラリーマンは決断する機会がないが、自分の食事は自分で決断できる!
考えてみたら、サラリーマンをしてれば出世して管理職とかにならないと決断する機会はありません。本当に自由に決断したければ社長にでもならない限り無理です。
もちろん業務中に与えられた裁量の範囲で決断する時はあります。ただそれもマニュアルだったり、規則だったり、過去の教育訓練だったり何かしらに縛られた上での決断も多いのではと思います。決断しても、その決断が間違っていれば後に叱られたりもします。
これは当たり前ですが、私は最近までよく分かっていないあんぽんたんでした。会社がこんな何も取り柄のない人間を雇ってくれて底辺労働をさせていただいている身分で、決断の結果の責任を取れる訳もないのに「決断させろ」なんて無茶苦茶な話です。
だけど、食事をどうするかは(当たり前ですが)自分で決断できるし、決断した結果いまいちでも自分の事なので問題ありません。まぁ仕事と食事を何にするかの決断は同じではないし、意味合いも違いますがね。
でも『決断する』って快感(幸せ)な事なんだな~
と感じたりしています。まぁ、段々食事を作るのも飽きてめんどくさくなるんでしょうがね・・・内容がないブログですみません。
今日も読んでいただいてありがとうございました。
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